裸の王様を考える
アンデルセンの「裸の王様」を知っている人は多いだろう。
他所から来た詐欺師にまんまと騙され「愚か者には見えない不思議な布地」で服を作らせる。自分でも見えないのに「愚か者と言われたくない」と、その存在しない服を着て練り歩き、ついには何のしがらみも知らぬ少年から群衆の前で「王様は裸だ!」と暴露される・・・といった話だ。
この王様はどうして裸であることを認められなかったのだろう。そして家臣はどうして裸だと気づかせてあげられなかったのだろうか。一つには王様が「自分の愚かさを自認できぬほど愚かなことはない」と悟っていないことだろう。
「服が見えると言わなければ愚かだと思われる」
そのコンプレックスからくる取り繕いが、より愚かさをさらすことを悟っていないのである。
それでは家臣は何をしていたのだろうか。原作では王様に倣って「素敵な服だ」とヨイショしたようであるが、現実、一人や二人くらい王様のためを思って指摘する人はいるんじゃないか。でも自分よりも人間的に劣っている(と思いたい)家臣に忠告されることは、王様にとって、これまた恥ずべきことなのだ。そういう王様は家臣の十人中五人が指摘をしてくれたとしても、個々の家臣の手落ちを並べ立て、残り五人の家臣の一人に「素敵な服だ」と言わせて安心するのである。
#ここで王様は服を着る機会を逃す
それでは隣の国の王様や家臣、国民はどうなのだろう。一般に隣の国の事にわざわざ口を出して逆恨みを買うなんてバカバカしいと思うだろう。愚かな王様だと腹で思っていながら知らぬ顔である。これで国力が弱まれば征服だってできよう。対して国民にとっては命に関わる。死刑になっては大変だから愚かな王様と思っていても何も言わない。中には王様を不憫に思って、本人には知らせずいい気持ちにさせていてあげようと親切のような偽善で理論武装する知識人もいることだろう。
#こうして王様は自分が愚かという不安を抱えつつ、取り繕いで、恥を上塗りしながら闊歩する
ここまでくると愚かも通り越して哀れである。原作では裸であることを指摘した少年に王様は感謝し、少年は幸せになったそうだ。しかし現実ってそうだろうか。こういう王様は公衆で恥をかかされたら少年を即刻、愚か者と言って死刑にするんじゃないだろうか。結局、王様は一生を裸のままで暮らし、国民や隣国で「愚かさを通り越して哀れな王様」と陰口たたかれて終わるのであろう。本人は知らずに済むのだから幸せと言っちゃあ幸せか。
でもね。そんなことでは次の代に国は滅んでしまうのだよ。やっぱり家臣たるもの、窓際にやられても王様の愚かさは指摘するべきだね。王様のためじゃない。結局は国と国民を守るためだよ。
Posted: 月 - 3月 6, 2006 at 07:53 午後