地方行政に思うこと
最近、国は財政難とかで地方にバラまくの財布の紐を絞りつつある。
一方で町村合併を促して、支度金(手切れ金?)として補助金をくれたりする。
これってある意味、市場における企業の吸収合併みたいなもんだな。
GNPの大部分は都会が稼いでいる、財政が苦しくなって、それを際限なく地方にバラまく時代は終わった。そんなに都会モンはお人好しじゃない。地方が、展望もなく、ただご近所に補助金を配って終わることへの批判が大きくなっているということだ。だから地方も企業合併のようなことやって独立採算を考え、競争力をつけて生き残りを考えなさい・・・ということなのだろう。
ところがだ・・・地方の(行政)文化というものには、未だに、親に向けて餌をくれとピーチクやって、せしめた餌を山分けしてりゃいいやという卑し者根性が残っている。本当の危機感がない。
国内の銀行が一斉に傾いたとき、国が銀行を保護しすぎて国際競争力を失ったことが「護送船団方式」と批判された。このやり方は地方にこそ根強く残っていて、このままでは自分が絶滅危惧種になっていくなんて思ってもいないようだ。競争力というものは外と競って勝つ力のことである。甘やかして対処療法的な延命措置をしたところで免疫力や生命力にならないことは自明のことだ。
#そして私が思うに本当の競争力とは「貢献力」である。
外に勝つ力というものは、他所に負けないサービスや技術や品質を、一つでも二つでも広く世界に提供し貢献することだと強く思うわけだ。親からもらった餌を、未来の糧に活かす工夫もなく、ただバラまいて浪費して終しまい。そんなことが今この場面で通用すると思っている人がいるとしたら、そいつは相当おめでたい頭脳の持ち主だと言えるだろう。人件費を削って歳出を削減すればいいなんて実に安易な考えだ。地域振興とは、自分だけのその場しのぎを考えることではなくて、実は自分以外の者に対して何が貢献できるかを考えることである。
#役に立ちそうなやつ。周囲に良い影響を与えるやつ。そういう者に投資したり援助するのが市場原理というものだと知るべきである。
Posted: 木 - 4月 13, 2006 at 10:45 午後