訃報


夜8時過ぎに訃報が届いた。
私の恩師が亡くなった。いや正確には大晦日に亡くなったという案内が公式に流れた。

メールの中身は実に素っ気ないものだった。
葬式は本人の強い希望で行われなかったそうだ。それを見て先生らしいと思った。
先生は国内において本当に開拓精神に溢れた人だった。同時に非常に不遇な人だった。周囲に煙たがられ徹底的に評価されなかった。

例えば、8mクラスの望遠鏡を国外に複数台造ろうと言い出した。その理由は次に何十mもの望遠鏡を造るためだと言った。「できるもんか」と言われた。日本には大きな鏡を造る技術がないので、それを育てるべく実験を行った。しばらくして大型望遠鏡に現実味が出て来た時には蚊帳の外だった。正確には複数台造る事も、それが次の計画の技術的布石にもならないので潔く退いてしまった。頑固というより意固地な人だった。

次は市民に対して研究成果や知識を公開する活動を開始。全国組織とセンター部署を立ち上げた。全国組織の方は発足してしばらくすると会長の地位を追われた。センター部署の方は実績が出て来たところで取りつぶされた。取りつぶした人たちは、返す刀で、名前を一文字だけ変えて別部署をつくった。

最後は人類が生き延びるための事業に命を捧げることになった。小惑星から地球を守る組織をつくった。

何か事を起こせばバカにされ批判され、形にすると奪われて、先生の貢献は無かったかのようにされた。

私事で言えば、先生の元で博士号を取得したく大学院を受けたがかなわなかった。大学院には合格したのだが先生に師事しない事を条件にされた。先生は周囲から大学院生を取れないように仕向けられていた。それでも私は先生の元でやりたかった研究を先生に師事せずにやった、向かい風の中、なんとか博士号を取ることができた。取得した後も、その研究をやると言い続けた。その研究を続けると言うなら研究者としての就職はかなわないと言われた。もう自分の研究をやるには望遠鏡から造らないとだめだと決意した。

無職で金もなく、生活にも窮する時に、先生からお金を借りたことがある。その時、先生にこういわれた。

「恩を返そうなんて思うな。それは恩人の不幸を願う事になるからだ。」
「その分は誰かを同じように助けてやることだ。」

私が今こうしてあるのは、かっこいい先生のおかげだ。
かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい、かっこいい!
先生のようにあんなにかっこよく生きられたらと思う。

Posted: 金 - 1月 19, 2007 at 09:53 午後            


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