愛は生きているうちに
愛してやまない人たちがいます。
まずは夜間大学のサークル棟で活動した仲間たち。桜の季節になると必ず駒沢公園の木の下で花見をした。卒業してからも毎年のように集まっていたが、もう(私だけ?)何年も会っていない。みんなは今も、駒沢公園の木の下に集まっているのだろうか。その仲間の中に卒業後自殺をした女性の先輩がいた。在学中はお菓子をくれて動物園の熊のように餌付けされていたっけ。亡くなったことを知ったのは1ヶ月たってから。たまたま連絡をした仲間が知って皆で驚いて集まった。昔のアルバムを見せてもらった。もの心がついた年頃から写真が殆どなかった。いつもうつむいて喋っていた彼女。そんなに自分が嫌いだった?何か悔しくて、あの大学での写真があるはずだと探し回った。彼らとはまた集まって花見をしたい。そして亡くなった先輩を訪ねて、その後も生きてみて楽しいこともあったよと言いたい。「そう。ちょっとくやしいわね」と言わせたい。そのために生きてみても良いと思う。
次に大学浪人中に予備校で一緒だった友人たち。これもまた何年も便りもせず不義理をしている。一度、友人の一人にすまないと言ったら「そんなこと期待してないよ。どうせ目の前の人の事で一生懸命なんだろ」と言われた。この時の友人の中には、一生、本当の妹だと思って扱うと約束した人もいる。実家にも妹だといって連れて行ったことがあったっけ。ところがここ何年も電話してない。許せ。不徳の兄貴だ。
そして阿佐ヶ谷の人たち、銭湯のおじさん、銭湯で一緒だった風呂ダチのOさん、喫茶ヴィオロンのマスターとかわいい奥さん。アパートで上に住んでいたSさん(今もそのアパートで事業をしてるだろうか)。
最後に中学校で出会った親友。中には今こそ会いに駆けつけたい友がいる。なのに満足に休みが取れない。ゴールデンウィークも電話だけですまない。夏前に一度は顔を出したい。
その親友グループの中に私がずっとずっと好きな女性がいる。生き方の美しい女性だと思う。私は彼女にだけは嫌われたくない。見損なったと言われたくない。私が人生を総括する日が来た時に褒めてくれれば嬉しい。その想いだけが自分を自分として成り立たせている気がします。
そして今、私には目の前に愛すべき同志たちがいる。私は彼らを守りたい。私の力で・・・なんておごったことでなく。みんなでお互いを思いやって明るい展望を拓きたい。そして私の役目をやり終えたら、その時は、私はなつかしい愛する人たちのところへ帰りたい。
生きて帰りたい。
そしたら例のごとく今のみんなには不義理になってしまうだろう。でも許して欲しい。そういう風にしか生きられない・・・ような気がする。
今、カヴァレリア・ルスティカーナの中の「アヴェ・マリア」を聴きながら書いている。
今夜は、そんな気分の夜だ。
Posted: 日 - 5月 27, 2007 at 11:58 午後