死ぬほどの痛み
ガンは最終段階になるともの凄い痛みだと言う。
初めて意識したのは大学の同級生だったSから彼が直面した友人の闘病の話を聞いたときだ。その時はまだ20代だったし彼の言うことに同情はしても今ひとつピンときてはいなかった。Sは酷いショックを受けていた。将来を嘱望され、恩師の奨めもあってチャレンジしていたアメリカの大学院(分子生物学)に進学するのを断念させ、すぐに医療現場で働く事を決意させるほどだった。
私の幼なじみがガンになって、4月,5月,6月と電話をしていて、痛みが増し薬が強くなり、その薬も効かなくなるほど痛くなり・・・そんな状況を真剣に受け止めるようになった。
6月にみんなで会いに行くと申し出た時、彼は渋った。とにかく帰省して前日に電話すると、これから一緒に風呂に行こうと言う。
「薬を飲むと2〜3時間は大丈夫だから、そのあいだに・・・」
でも事はうまくいかなかった。風呂屋を出て昼食場所を探しているあいだに彼の体には痛み出す予兆が始まってしまった。スーパーで食材を買い出して彼が自慢にしていた料理をごちそうになることにした。
この日の時点で使用していたモルヒネは最強の一つ手前。それも効きが悪くなっていると説明してくれた。もう時間がない。そう感じたので私は翌日の会合を強く迫って承諾させた。千波湖での4人(と子供一人)会合が終わって彼を家に送り届けると、彼の母親が留守にしていたので、帰ってくるまでと付き添って二人で横になった。痛みが来ると彼は息を止め体を丸めてビクッとする。新たに飲んだ薬が効き出すまではそんな感じだった。薬が効いて朦朧とし始めた頃、母親が帰宅した。いいよというのに彼は私を外まで送ってくれた。
1週間後に電話をかけると薬を調節するために入院中だという。いよいよ最終段階に入ってしまった。これが効かなくなると入院して薬を点滴するしかなくなる。そうなると寝てるか(夢の中か)痛がっているかのどちらかになる。7月に入ってまた電話をすると、彼はそうとう辛そうだった。私はうっかりミスをした。
「みんな元気になるようにと七夕に祈っている」
甘い事を言ってしまった。彼には惨い言葉だったと思う。口に出してすぐに「しまった」と思った。案の定、彼は不機嫌になり、早々に電話は終わった。
「ごめん。凄い痛いんだ」
「そうか・・・ごめん。またな。」
これが最後の会話になった。死ぬのがわかっている病人に元気になる事を期待するなんて、なんてバカなことをしたのだろう。本人は、もうだめだとわかっていて、私もそれを否定せずさらりと受け止めて見せていた。それで成り立っていた電話だし関係だったはずなのに。
告別式の日に彼の母親から聞いた話だと、最後の薬も効かなくなると、彼はもの凄い形相で顔を歪めて苦しんでいたと言う。母親でも耐えられないくらい怖い形相だったという。
「誰からの電話も取りつがないでくれ」
「つむつむにも病状を言わないでくれ、あいつも体調悪いのに心配する」
「もう誰に会わなくてもいい。生前葬は済ませたんだ」
そんなことを言っていたそうだ。
次に彼の家に電話が繋がったのは9月11日。5月に亡くなった同僚Mくんの実家を何人かで訪ねることになって出かけた。その新幹線のホームで思い立って電話をかけた。聞くと8月15日に痛みが酷くなって入院し10日に退院して家に帰って来たのだという。いよいよなのだなという予感がした。実は、この日はMくんの実家を訪ねて、その足で帰省すべきか数日前から迷っていた。結局、その日は佐用に戻ってしまったのだが。彼の母親の口ぶりでは入院していたけど持ち直して退院したというニュアンスだったが、私が名乗るなり「今、どこからですか?」と聞いてきた事が気になっていた。そして6日後、彼は旅立った。もう最後だということになって覚悟の帰宅を望んだ事も知った。
全ての謎が解けたよ。病状を気取られないようにと釘を刺していたんだな。死ぬほど苦しむ姿を友人に見せたくなかったんだな。大抵はうまく見抜けたのにな。いつも受けて来たおせっかいを十分の一でも返してやろうと思っていたのに・・・やられたよ。脱帽だ。
Posted: 水 - 9月 19, 2007 at 10:13 午後