なゆた迷走


今夜は観望会当番じゃない日だったので、夕食後は、大学から受けている研究助成金の報告書を書くつもりだった。ところが8時頃に内線電話。

「なゆた望遠鏡の制御ソフトが固まってます。」

制御室まで様子を見に行くと、お客さんのいる観測室で対応している研究員から、中でモーター音が聞こえるという声。早々に確かめに観測室に入ってみると眼視観望装置の上の方で確かにモーター音。暗がりの中、お客さんに失礼しますと言って望遠鏡によじ上ってみると、望遠鏡の光路を切り替える鏡を駆動するモーターが空回りしていた。モーターが空回りするということは鏡が所定の場所に着いたという信号が出ていないということだ。この信号が出ていないということは、なゆた望遠鏡を制御するソフトウエアでは観測準備が終了していないと判断されるということになる。

機械的なダメージを悪化させないためにはモーターを停止させなければならないので、制御ソフトウエアを終了するように言った。それで無事モーターは停止した。今度は、眼視観望装置に光が来ているかどうかを確認。OK、光は来ている。

このモーターを再び空回りさせること無く、なゆた望遠鏡を運用可能状態にする為の手順をその場で考えて口頭で説明。無事に観測可能な状態になったので、後は当番にまかせて、故障の状態と暫定的な運用手順をメールで職員に報告しようと研究室に戻った。そしてメールを書き始めたとたんである。

 また内線電話が鳴った。

「狙った天体が視野に入りません。」

これは一大事である。観望会ができないかもしれない。お客さんがいるのであるから真っ青である。すぐさま制御室へと向かった。しかし最初の天体が月だったは幸いした。的が大きくて明るいので、何とか目星をつけて導入ができたところだった。月の無い夜だったら致命的である。指向誤差をメモして次は明るくて的の小さい土星を導入して、より正確な指向誤差を割り出して、その値で他の天体の補正をかけるようにアドバイスして様子を見た。土星を無事観望し、次のアルギエバ(二重星)もうまく観望できたので、もう大丈夫だろうと再び報告のメールを書きに研究室へ。そして同じ技術担当のS研究員に−週休なのではあるが−報告の電話を入れた。電話口では幼い彼の娘の声・・・ごめん。

「じゃあ、故障箇所の点検は出勤日の木曜に・・・」

電話を切ったらまた内線電話。別の天体を入れたら、補正しきれず、視野に入らないという。やばい。これは望遠鏡を向ける方向によって指向誤差の方向と大きさが変化しているということを意味している。三たび、制御室に行って、あれやこれやと試してみるが・・・

♪こっちに向けても入らない
♪あっちに向けても入らない
♪ニャンニャンニャニャン・・・

こっちが泣きたい。お客さんに申し訳ない。なゆた迷走・・・である。
時間は観望会の予定時間をとっくに過ぎて9時半を回っていた。意を決して、もう一度土星に向けてみるように指示する。先ほどの補正値が通用しないようだと、機械誤差の再現性まで失われていることになる。そうなるといよいよ最悪の事態・・・なゆた望遠鏡の運用を停止するしかない。

 幸いにして土星は今度も視野の中に入ってきた。この指向誤差には再現性はあるのだ。ホッとした。観測室では今夜の案内担当の研究員が

「今度はさっきよりも、よく見えますよ。凄い土星ですよ(実際、大気は落ち着いたので非常に良い像)。」

と、お客さんを失望させないように必死である。私は指向誤差の原因が光学系(だという目星は早々についていた)のどこにあるのかを考えていた。多分、第3鏡と第4鏡の関係が狂ったのだろう。後は、故障箇所を修理して調整が完了するまでの間、観望会で、なゆた望遠鏡をどう手なずけるかである。今夜は徹夜になっても・・・いや、何としても今夜中に解決策を見つけなければならない。明日も明後日も、お客さんがある限り、なゆたは観望会へ供しなければならないのである。

 そんな事を考えていると、お客さんからリクエストがあった。ダメもとでいいから北極星を見てみたいという。北極星は望遠鏡の指向誤差を見るのにとても良い天体である。ほとんど動かないからだ(凄く小さな円−1°弱−を描いて動くんですよ)。結局、北極星もお客さんの辛抱できる時間内には導入できず観望会は終了してしまった。案内担当は、いつかのTV出演の時のように落ち込んでいた。

 観望会が終わったからと言って、今夜ばかりは一時たりとも無駄にできない。お客さんのお見送りが済むと、なゆた望遠鏡のシステムを一から立ち上げ直し、さっきまで観望会で望遠鏡を操作していた新人のM研究員に手伝ってもらってロストした北極星探しである。しかし10分ほど、なゆたを迷走させてみたが見つけられる気配がなかった。こういう時は最初からだ。再び、土星からやり直しすることにした。確実に導入できる天体から、少しずつ離れた天体(ならば誤差の違いが小さいので捜索範囲が狭くなるから)を順番に導入し、指向誤差を記録していきながら誤差の変化の傾向を見つけるのである。南西から反時計回りに南東へ

土星→アルギエバ→レグルス→デネボラ

ここまでは順調に発見できた。その都度指向誤差を記録してゆく。ここまでで指向誤差は水平方向(方角)の成分が大きくて、垂直方向(高度)の誤差は無視できそうなことに気づいた。しかも水平方向への誤差は(望遠鏡を上から見て)時計回りの方向(AZ+)である。次は望遠鏡を東に向けて

アークトゥルス→北極星

誤差の方向に当たりがついたのとデネボラを捕まえたデータを使えたので、アークトゥルスも何とか捕まえられた、北極星も誤差が予想以上に大きかったので苦労はしたが、アークトゥルスのデータを使って今度は捕まえた。そして、これら6点のデータをじっと睨んで誤差の大きさと望遠鏡の向きとの関係を探す。直感を働かす。

「あっ! 天体の高度が低くなるとAZ+の誤差が大きくなる。」

仮説を確かめる為に、今度は、望遠鏡を270°回転させて真西に沈もうとする火星を導入してみることにした。高度は25°。高度およそ35°の北極星よりもAZ+方向に大きく振っていけば見つけられるはずである。果たして、予想通り火星は見つかった。

 後はM研究員に、望遠鏡を向ける高度とAZ+方向の誤差を表にしてもらって作業は終了。これで天体の高度に合わせて補正を入れてやれば、天体を眼視観望装置の視野の中心に導く事ができるだろう。2時間弱で解決策を見つけることができたのは幸運である。年に1、2度は、こういうトラブルに出くわす事がある。連日稼働が義務づけられている大型の先端実験設備としては非常に少ない方だろう。それでも何度経験してもハラハラものである。しかし大きな望遠鏡を扱うというのはこういうことだ。ほったらかしで、手もかけず(メーカーの定期メンテナンスのことではない)、まともに動く大型機械なんてないのである。

#みせびらかしや動かない剥製のような機械なら、たまのお掃除くらいでいいのだろうが。

Posted: 水 - 4月 16, 2008 at 02:27 午前            


©